恋愛至上主義の女

暇を持て余した女子大生が好奇心で潜り込んだ世界の備忘録。

私がいつも満たされない理由

 

 

 

 

 

 

 

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「ごめんね〜、離婚届出しちゃった。」

 

 

 

 

 

大学に入学して2ヶ月ほど経った時のことだった。

 

携帯電話使用禁止の英語の授業が終わり

1時間半ぶりに開いたiPhoneには

家庭崩壊のお知らせが届いていた。

 

 

 

いや、本当はもっと、ずっと前から

家庭なんてとっくに崩壊していて

戸籍上、家計上は世帯として

形を成していただけの虚構だった。

 

 

 

 

 

1年前から続いていた母親の不倫。

 

 

 

 

 

 

早々に気づいてしまった私に

母は男との話を漏らすようになった。

 

 

 

昔から母にとって私は自分の分身だった。

 

 

私は生活を続けるために父には黙っていた。

だがそんな努力も虚しく母の手によって全て壊された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何年も前から夫婦仲なんて冷めきっていたことは

私にだってわかっていた。

今思えば何故10歳下の妹が

この世に存在しているかも謎だ。

鮮明に残っている記憶に

2人の仲が良好だったものはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

物心ついた頃からずっと

母は私と弟を父と母に分けるのが好きだった。

“パパチーム”と“ママチーム” 

男親は娘がよりかわいくて

女親は息子がよりかわいいと感じるのは仕方ない

そんな世間の俗説を都合良く唱えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

6歳春

頑張ってお受験で入った小学校。

入学式に来てくれたのは父だった。

同日同時刻には弟の入園式も行われていて

母はそちらへ出席していた。

事実、弟は3歳半、手のかかる年齢だ。

それでも私は、お母さんに来て欲しかった。

でもそんなことは言えなかった、

お父さんが仕事を休んできてくれるのだから、、。

 

 

 

 

 

 

 

それから記憶のある限り、

どこへ行っても私の隣は父だった。

勿論、食卓でも。

手のかかる弟の世話をしやすいように 

しかしそんなのは表向きの理由だった。

母が父の隣を避けたいだけなことを私は知っていた。

当時、接待や飲み会の多かった父が

夕食の時間にいることは少なく、必然的に私は一人だった。

 

 

 

 

寂しくても「お姉ちゃんでしょ。」と言われたら我慢するしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この“パパチーム”“ママチーム”制が解消されたのは

私が10歳の時、妹が生まれたことがきっかけだった。

 

 

 

 

家族みんなが小さな妹に夢中だった。

この天使が家庭内の不和を丸め込んで

無かったことにしてくれる、そう期待していた。

 

 

 

 

実際、父は煙草もギャンブルもやめ、

酔ってキレることも暴力を振るうことも減り

飲み会も減らして帰宅時間は早くなった。

育児にも積極的に参加していて、

お風呂もおむつ替えも自ら進んで行っていた。

 

 

歳をとってからできた娘、溺愛してるのは目に見えて分かった。

 

 

 

 

 

 

一方母はというと、父や私や弟が妹を構うので

3人目ということもあり育児ノイローゼなどとは無縁で

相変わらず弟には甘かったが

私も大きくなって家族のご飯や

妹の離乳食を一緒に作ったり母との時間が増えた。 

 

 

 

 

お母さんと仲良し親子になれてる。

そんな気がして嬉しかった。

 

 

でもそう、全てうまくいくわけがなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の反抗期とともに母の過干渉が加速した。

 

 

 

中学生になる頃には

私は母と姉妹に間違えられるほど似てきた。

母はそんな私を自分の分身として扱うようになった。

 

 

 

 

元々、1を聞いて10を察してほしい人間だった母だが、私には言わなくても察することを求めた。

1を聞かなくても10を察することができるでしょ?だってあなたは私の分身なのだから。という具合だ。

だが残念なことに、私は昔から人の気持ちを理解することが苦手だった。説明されれば理解できるし寄り添うこともできるが、何も言わない人の気持ちはわからないし、想像もできない。

そんな私に母の気持ちを汲み取ることは難しく、

なんでわかってくれないの!状況みたら今何して欲しいかくらい分かるでしょ!いつものことでしょ!とキレる母との戦いの日々だった。

 

 

 

 

 

私を自分の分身だと思っている母は

自分が楽しくないのに私が楽しそうだったりするのが嫌いだった。

監視するために私の携帯はメールの内容まで抜き打ちチェックが入っていた。男の子はもちろん友達とメールでやりとりしてるのすら許さなかった。友達なら学校で話せばいいでしょ?男に媚び売ってはしたない。この携帯は親と連絡を取るためにあるのよ?と言っては何度も取り上げられた。

 

 

 

 

 

 

 

テストの点数が振るわなければ携帯だのお小遣いだのとにかくなんでも取り上げられ削られた。自分の分身がテストで満点取れないなんておかしい。と、私の出来が悪いと自分の出来が悪い気がしてしまうのだろう、特に勉強は短大卒の母にとってはコンプレックスだったから余計に。

 

 

 

 

 

母に愛されたかった、認められたかった。

そのために努力した、テストも、 日々の生活も。

友達とはメールじゃなくて手紙や交換ノートにした。

それでも干渉され制限されて怒られる日々に屈するほど弱くなかった私は反抗した。

結果的に私の反抗期は高校3年まで続いた。

 

 

 

 

 

その間には、普通では考えられないようなことがいくつも起きた。その度に私は反発し続けた。

 

 

 

 

誰がなんと言おうと、シンプルに娘として愛されていなかったんだと思う。今振り返ると父も認めるくらい、私は1人の人間として娘として愛されていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

そんな母の干渉が奇跡的に和らでいった。

それは、高校3年になった頃だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

母に男ができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時、父は単身赴任で東京にいたので

家には年に何度か帰ってくる程度だった。

 

 

 

 

そんな隙をついた犯行だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

相手は妹の小学校のPTA役員の仲間でW不倫

もう笑うしかなかった、なにがPTAだ。って。

 

 

 

 

 

そもそも私は妹の学校のPTA役員が大嫌いだった。

親睦を深めるためだかなんだか知らないが、家で集まって酒盛りして騒いで、うるさいったらありゃしない。なぜ我が家でする?店でやれよ、と思うのだが子供が多いからという理由でどこかの家に集まって楽しむわけだ。

当時大学受験を控えた私にとってそれはもう本当に許しがたい行為だった。元々あまり家で勉強しないとはいえ、家で騒がれ、小学生が勝手に部屋に入ってきたり、物を触られたり、そのストレスで何度も発狂した。

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてさらに、その親交を深めた結果が不倫?

ふざけんなと思った。

それでも今巻き込まれるのはゴメンだった。

 

 

 

 

 

父にバレて、離婚だなんてことになったら

私の大学の学費は?この家は?妹は?弟は?どうなるんだ?と考えたら

父にバレないように尽力するのが最善の選択だと思った。

 

 

 

 

 

残念ながら当時の父には信頼がなかった。

この人が私たち子供を面倒見てくれるとは思えなかったし、面倒見れるとも思えなかった。

 

 

 

 

 

 

家族の平和のために。

その一心で私は母の不倫を黙認した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕方家に帰るとシンクには二つのマグカップがあり

誰か来ていたのかと尋ねると

「うん、ちょっとね、、」

と濁していた母が

「○○と飲みに行ってくるね」

と笑顔で出かけるようになるまで時間はかからなかった。

 

 

 

 

どんどん壊れていく母を誰も止めることはできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春になり、無事大学に合格し、

地元から出ていく友達と会ったり

進学先のオリエンテーションや新歓で忙しくなった私は

寝るためだけに家に帰るようになった。

 

 

 

 

 

 

家に帰れば母がギャーギャー言っていたが

大学生になった私は無敵だった。

玄関のチェーンロックを締められたって

勝手口の鍵を持っていたし

自分でバイトすることだってできるから

お小遣いを削られる恐怖も無くなった。

 

 

 

 

 

 

 

授業とバイトとサークルと、

毎日楽しく忙しくしていた私の生活に

影が落ちたのは5月下旬のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

母が不倫相手とのトーク履歴を

父のiPhoneに誤送信した。

 

 

 

 

 

 

私の母は決して機械音痴ではなかった。

PCの利用制限を使いこなし、中高生の頃の私に制限をかけるくらいのことは悠々とやっていた。

しかし、彼女は感覚でやってみる、困るまで説明書は読まない人間だった。

私が中途半端に植えつけたLINEのトーク履歴をテキスト形式のファイルで送信できる技を使ったわけだが、その過程で問題が起き、父のiPhoneのアドレスへ送られた。

後から私が確認したが、まあ本人が悪い。

 

 

 

そもそも家族がガラケーのなか自分だけiPhone5に変えたり、直後に指紋認証機能が搭載された5sが出て春に私と弟が5sにするのが羨ましくて、5を父に回し、自分も5sにするという意地の悪さが災いした。

データをどれだけリセットしても、回線の契約を変えたわけではないし、新しいiPhoneに引き継いだLINEの設定はあくまで前のiPhoneの番号やアドレスのままだった。

 

 

 

 

 

 

まぁなによりも不倫なんてしているから

不倫相手との思い出を大切に残そうとしたから

倫理に反することをしたバチが当たったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

怒り狂って連絡してくる父を着拒にする母。

こんな時だけ私に泣いて縋って

なんとかならないか、なんて、

ふざけるなと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

父と母の20年に及ぶ生活の結果

この程度の関係性しか築けてないのは

2人の問題だし

そこに私たち子供は関係ない。

 

不倫しようが別居しようが離婚しようが

好きにすればいいけれど

この世に産み落とした子供には

ちゃんと責任を全うしろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

私はそう伝えて家を出た。

 

 

 

 

1年間、受験勉強と並行して

母の不倫を隠してきた私の努力が全て水の泡になった。

 

 

 

 

3月の頭にフラれた5歳年上の元彼に泣きついた。

彼はすぐに迎えに来てくれて下宿に匿ってくれた。

彼もまた"不幸な私"を好きな人間だったから。

 

 

 

 

 

次の日は誰にも会いたくなく彼の家に引きこもった。

入学して2ヶ月もたたない頃の大学1年生なんて

毎日バカやって笑っている集団なのに

そこに混ざって馬鹿笑いできるような気分にはなれなかった。

 

 

 

 

 

その日のうちに父から連絡があった。

電話にも出ないし連絡つかず話にならないから

今夜新幹線で帰る。家にいてくれ。と。

 

 

仕方なく帰ったが、

父が帰ってくるやいなや母が逃亡した。

 

 

 

 

 

平日のど真ん中に無理矢理帰ってきた父は

次の日の朝イチで東京に戻った。

私もまた元彼の家に向かった。

他に行くとこなんてなかったし家には居たくなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

父は  "全て水に流すから、

子供のためにももう一度やり直そう"  と言ったが

母は "もう嫌だ、自由になりたい、限界だ" と言って

東京の父のマンションに離婚届を送りつけた。

諦めた父も記入し送り返してきた。

 

 

が、思い直した父に頼まれ、

私は一日中家の郵便受けに張り付き

離婚届の入った封筒を回収し、バイトに向かった。

 

 

 

 

 

 

バイト中、母から鬼電がきていて

仕方なく自分の家に帰ると

離婚届を返せと言われた。

 

 

 

  

 

絶対に提出しないと約束の元、母に渡した。

 

 

 

 

 

 

私が愚かだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日、絶対に休めない英語の授業後には

離婚届は受理されていた。

 

 

 

 

 

 

約束が違うじゃないか!

 

裏切られた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この日を境に私は母を母として認めなくなった。

あんな女は母親なんかじゃない。

あなた、あの女、あの人と呼び、母と呼ぶことはなくなった。

 

 

 

 

 

 

母親からの愛情が欲しくて、母親に愛されたくて

18年生きてきた私が、母親に愛されることを諦めた瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、これでもかと捻れ歪んだ後に彼女は出ていった。

 

親権、金銭、土地、家、年金、保険、、

裁判にこそしなかったが問題は山積みだった。

 

でも父はなあなあにして、とにかく縁を切ることを急いだ。

私は、私たちが不利益を被ることに納得がいかなくて何度も、戦えばいいのに と思ったが、

父は、自分と私たち子供3人が今、そしてこれから生きていくことを考えるだけでいっぱいいっぱいだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女は出ていってからも

子供達の親であることは変わらないから

母親として関わり、仲良かった頃に戻りたいと

度々家を訪れてきた。

 

 

 

 

そもそも私としては仲良かった頃とは?

私があなたの機嫌を伺い怯えてた頃の話ですか?

という気持ちでいっぱいだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう愛情なんていらないから

母親としての役割なんて求めてない。

仲良くするつもりなんてない。

子供を捨てておいて今更どのツラ下げて、

二度と来るな。

 

 

 

 

 

 

インターホンが鳴るたびに

私はそう叫び追い返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

楽しい大学生活を失った。

 

母親に感謝の手紙を読む幸せな結婚式はもちろん

結婚生活への期待も希望もない。

 

他人からわかりやすく言葉にして認めてもらえないと自分の存在価値すらわからなくなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの女に18年かけて植えつけられた感覚は

そう簡単に変わることはなく

父の愛情の元で5年暮らしても未だに満たされない。

 

 

 

 

今でも、全世界みんなが敵に見える瞬間があって

自分は愛される価値のない人間で猛烈に死にたくなる。

誰も私を必要としてないし、

私は誰かのために何かしなきゃいけなくて

誰も私のために何かをしてくれることはない。

困っていても誰も助けてくれないし

誰も私に関心などないんだ。と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歳をとれば許せるようになるよ、

そうはいっても血が繋がった親子なんだから。

なんてことは絶対にあり得ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二度と会いたくない、一生許さない。

頼むから私の人生から消えてくれ。

 

悪いと思ってるなら今すぐ死んでくれ、マジで。